気がつけば9月末

またしても、前回の記述から4か月が経過していた…。NYはここ数日でぐっと気温が下がり、秋を楽しむ間もなく厳しい冬に突入してしまいそう。日本の金木犀が香る秋が好きな私にとっては、少し切ない。


また、備忘録的に。ちなみに、今は久しぶりにPiano Manを聞いている。

5月に抱えていたことはぎりぎりに提出したけど、うまくいかず、しばらく塩漬けしてしまったけれど、思い腰をあげて、修正中。
6月は娘が2歳になる前のかけこみ一時帰国で日本へ。約6週間日本に滞在し、会いたい人びとへ会い、実家で1か月ぐらいお世話になり、今年度も参加させていただいている研究事業の関係で会議に参加したり、授業の準備をしたり、NYで関わっているボランティア活動の連絡など、なんだかんだとあっという間に過ぎてしまった。お世話になったみなさま、本当にありがとうございました!
7月下旬にNYに戻り、時差ボケから回復と9月からの授業準備のサイト締切作業(7月末)をなんとか終えたら、7月が終わってしまった。
8月は、NYUでのインターン実施のための調整、デンマーク調査への参加(初めて娘と6日ほど離れて過ごした、わぁお!)、授業の最終準備等を。
9月からNYUでのインターンが始まり、授業も2コマ始まり、2週目から娘の新しいプレスクールが始まり、元同僚のNYでの調査に同行したり、ばたばたしながらなんとかバランスとっている感じ。


時々、自分がどこに向かって歩もうとしているのか、歩みを進めている方向は果たしてこれで良いのか、自問自答をしながら、立ち止まったり、歩き始めてみたり。何を大切にするべきなのか、何ができるのか。ただ、こうやって考えたり、試行錯誤をさせてもらえる環境に感謝して、自分のことは誰かのせいにすることなく、自己責任でちゃんとしたい。

母の日と誕生日

今、NYは夜中の1時を過ぎ、またしても静かな夜。夫は久しぶりの飲み会から0時頃帰ってきて、ひとしきり今日のおもしろかった会話をほろ酔いな感じで話し、リビングで寝そうになっていたので、半強制的にベットルームへ移動。


前回綴ったのが、年末なので、既に5か月が経過してしまった。いつものことと言えば、いつものことだけど。。
この5か月は、娘の病気と向き合う日々だった。備忘録的に。


1月、娘の高熱が下がらず、小児科通院3回目にして、私の方から症状からし川崎病の疑いを小児科医に伝えたところ、そのまま、コーネル大学のエマージェンシーへ直行するように言われ、そのまま入院。通院が夕方だったけど、さすがにそのまま入院になるとは思っていなかったので、何の準備のないまま入院に突入した感じ。川崎病の診断が正式にくだり、翌朝から治療がスタート。経過は順調だったものの、2月は細気管支炎、3月は突発性発疹にかかる。毎月、熱からスタートし、それが何によるものなのか分かるまで時間がかかるという状況で、2月も入院にはならなかったけどエマージェンシーに行くことになってしまい(結局、小児科医を変え、たどりついた小児科医は相性が良い気がしている)、なかなか落ち着かない状況だった。デイケアも4月いっぱいまでお休みした。さすがに3月頃になると、私の疲労が蓄積して、私もダウン。夫とシッターさんに助けられてなんとかなったし、のど元過ぎればという感じだけど、振り返ると、ちょっとぐっとくる。


その間、当初から予定していた、オンライン授業の担当、Hunter Collegeの授業(こちらはNon-Degreeの学生として)の履修が始まり、年末に準備していた論文の投稿、もう1つの投稿論文の修正、報告書の原稿の提出、投稿していた論文の再査読が2回(最初の再査読がきつかった)など、当初予定されていなかったことも含めて期限が設定されているものが多く、その場のできる範囲で対応するので精一杯(今もまだそんな感じ)だった。


そして、今年は数年に1度やってくる、母の日と誕生日が一緒の年。このことについて書こうと思ったら、前段が長くなりすぎて、息切れ…。また、改めてかけたらいいな。なんだか、5月中に決着をつけなくてはいけないものを抱えていて、少し落ち着かない感じだけど、5月も前向きに過ごしたい。

2014年ありがとう

2014年があと1日ちょっとで終わろうとしている。
娘の寝かしつけで、夫も一緒に寝落ちしてしまったので、今はとっても静か。今日は、明日の大晦日の小さな集まりのために、大量のおでんをカナダ出身の友人に説明しながら、なんとか作り終えた。黒豆は既に終わったので、あとは、田作りを作ったら、お正月準備はおしまい。


娘はおかげさまですくすく育ってくれて、少しずつ意思疎通がとれるようになってきた。心から娘を授かったことに改めて感謝。毎月、日本の家族に送っている娘の通信も、なんとか継続できており、12月でNo.18を迎える。日記は書いていないので、この通信が写真以外で娘の成長や日々の記録として残るものになる。いつか、ちゃんとした紙に印刷して、ファイリングしよう。


2014年の後半は、NYで生活するということが日常化してきたことを、スーパーの帰り道とか、ふとした瞬間に感じることが何度かあった。既にNYでの生活が1年半以上経過しているのだから、当たり前なのかもしれないけれど、実家のある名古屋、学生時代や社会人の時に過ごした神奈川・東京エリアに次いで、NYが第3の記憶に長く残る場所になってきた感じがする。


これまでちょこちょこと備忘録を残しているけれど、自分の振り返りのために2014年の主なことを書き出してみよう。

1月:NYで心臓移植をするお子さんとご家族を支える団体の活動へ参加
2月〜3月:ビザ切替と日本滞在
4月:インファントマッサージの資格取得
5月:アルツハイマー病協会のカンファレンス@プエルトリコでポスター発表
6月:退職
8月:日本の研究プロジェクトの一環でオランダ調査
8月〜12月:認知症ケア学会、厚生の指標に論文投稿+もう1本を書き終わり、共著者確認中
9月〜12月:Rutgers Universityで1コマだけオンラインクラスの担当(非常勤講師)に伴い、娘の週2回のデイケアスタート
10月:日本介護福祉学会@東京でポスター発表(共著者が代理で発表してくれた)
11月:GSAアニュアルミーティング@ワシントンDCでポスター発表サポート
   インファントマッサージの初クラス(4回シリーズ)開催
12月25日:卒乳(ハプニング的だったけど、今のところ継続中)


英語は引き続き、大きな課題を感じているけれど、今年1年でなんとか英語で話すことがuncomfortableでなくなったことは私にとって大きな変化だった気がする。また、日々の努力がより求められるフェーズに来ているんだということも実感中。

引き続き、身分は不安定のままで心配されることもあり、日本とのいろいろな距離もあるけれど、今、私がこの立場で出来ることは何か、やりたいことは何か、何を大事にしていきたいのか、をゆっくりでも立ち止まって、考えて、動けることがあれば誠意をもって動くということを大切にしていきたい、と思う2014年の終わり。


2014年、ありがとう。2015年、よろしくお願いします。

11月の終わりに

気が付いたら、もう11月も終わりを迎える。
またしても、備忘録になってしまうけれど、今を残しておこうと思う。


9月から始まったあたらしいお仕事は、いろいろあるものの、あと1か月で終わりを迎えるところまできているので、あともうひと頑張りといったところ。春に仕事が継続されるかは、登録者の人数次第のよう。どうなるか分からないけれど、今はできることを出来るだけ。


英語については、通っているところで、カンバセーションパートナーになってくれた方がとても親切で、いろいろと話をすることができ、学びも大きい。英語でのコミュニケーションは全くもってまだまだだけど、苦痛ではなく、少しずつComfortableなものに変わりつつある気がする。


10月にはコロンビア大学の授業で少しだけ日本の高齢化についてプレゼンテーション。その後のディスカッションがなかなか…だったけど、とても良い経験に。11月は恒例になりつつある、日系人会でのセミナーでプレゼンテーション。


11月は、ワシントンDCであった、アメリカ老年学会のカンファレンスに1泊2日で参加。娘と初めて1泊離れた。夫と娘の協力に感謝。来年も参加できるように、がんばってみようと思う。9月に書いていた論文は10月になんとか投稿。今は査読結果待ち。今月はもう1本書いていて、ほぼできあがり、共著者にも確認してもらったので、来月初旬には投稿できる予定。あと、年度内に2本。がんばれるといいな。


他に11月は、インファントマッサージのクラスを自宅で開講。全4回セッションで、5組のママ&ベイビーに参加してもらうことができ、とても良い時間を共有させてもらえた。パパ向けのセッションも土曜日に企画したけれど、風邪などで1組しか参加できず残念。また、パパ向けのセッションもできたら良いなと思う。


さらに、11月は夫の誕生日と結婚記念日。結婚6年目を迎える。これといって特別なことはできていないけれど、自分たちが大切にしたいこと、共有しておきたいこと、これからどうしていきたいか、を話す良い機会。振り返ると、毎年、めまぐるしく環境が分かっている感じだけれど、私たちなりに誠実に日々を重ねていきたい。


あとは、周りが第2子に向けて、いろいろとにぎやかになりつつあり、いろいろな意味で考えさせられることが多い。妊娠、出産は本当に素晴らしいことだけれど、とてもデリケートでもある。私なりの考えがいつまとまるのかは分からないけれど、またゆっくりと考えていきたいと思う。


明日は、サンクスギビング
多くの人たちが家族と一緒に過ごす時間。素晴らしい時間となることを願うばかり。

静かな夜

またも、時間が空いてしまった。またしても、備忘録。


今日は娘が体調不良で明日の朝一で小児科にいく予定なのだけど、今のところ疲れているのかぐっすり寝てしまっている。夫は短期一時帰国中で、なんだか静か。産後、音の無い生活をかなり送っていて(テレビもラジオも置いてない)、ダウンタウンに5月末に引っ越しをしたので、周りもミッドタウンよりもかなり静か。いつになく、静かな夜だなぁ。


6月に動くと思っていたことは、返事がなく、一時停止。


8月は、研究助成に1つ応募。通るといいな。あと、オランダ調査に無事に行くことができた。夫が休みをとってくれたので、娘も一緒に。ライデンを中心に、ユフレヒト、アムステルダムにも行くことができた。運河が街のあらゆるところに張り巡らされている街並みは、とても美しかった。


9月から動くことは、とりあえずスタートラインに立った状況。今までとはかなり違う領域でのお仕事。今の私に選択する贅沢はなく、オファーしていただけることを自分のできる限りで応えていくことに決めた。いろいろな初めてを経験して、世界が広がっていくのだろうか。


来年、3月までに、論文4本要執筆。とりあえず、1本書き上げたので、投稿準備中。あと3本。これもできる限りやるしかない。


娘は今月の中旬から、週2回でデイケアに通ってもらう予定。いろいろ思うこともあるのだけれど、自分の時間と娘との時間とのバランスをとりながら、試行錯誤していくしかないのだと、自分を納得させ中。


最近は、各週でお料理会を実施し、できるだけ冷凍可能なおかずの大量作りをしている。自分1人では作らないメニューがあったり、今日は夕飯がピンチ!の時に使えたり、夫のお弁当にえいやーと入れたり、わりと役だっている。最近のヒットは、かぼちゃチーズコロッケ(揚げずにオーブンで)、シュウマイ。


とりとめがない内容になってきた。。
何を優先させるべきか、まだまだ迷いも多いけれど、正しさなんてないのだから、私が私なりにできることを一歩一歩考えながら歩んでいこう。

ありがとう

前回ここに言葉を残してから、もう6か月も経過していた。


2014年の誕生日。母となって初めての誕生日。
時差もあるのか、自分のことをちゃんと考える時間が不足しているのか、自分ごととしては大きな実感のないまま、歳を重ねた感じ。ただ、娘を出産して、自分の誕生日は、母と父が無事にこの日を迎えてくれたからこそ存在していることを強く実感し、両親にいつも以上に感謝の気持ちを持った。


今年は実は30代後半に突入する歳で、何かしら節目の誕生日だなと、今、こうやって書きながら、少ししみじみしている。
実際、大きな節目を迎えているんだろうな、とも思う。


ひとまず、2013-2014の備忘録。
2013年4月にニューヨークへ、6月に娘を出産、11月にインファントマッサージのエデュケーター講座受講(2014年4月に取得済)、2014年2月に報告書原稿執筆と1か月ほどの一時帰国、5月のADIでのポスター発表。あと、9月と4月に終末期ケア関係の講義を日系人会のイベントで実施。


1年で帰国の予定が、戻れず、あと3〜5年はニューヨーク。
博士課程後半から勤務していた職場にも復職できず、こちらで何かしら探すべく模索中。今後の不安はつきまとうけれど、不安を口にしていたって、状況が改善する訳ではないから、今できることを、今できるだけ進めていくことのみ。どうやって自分の時間を作るかが、目下の課題だけど少しずつでもやっていこう。1つは6月に方向性が見えるので、それに合わせてどのように進めていけるかを考えていくことに。あと9月からもう1つ新しいことが始まる予定で、今はその準備を少しずつ進め中。8月にはインタビュー調査に行けるといいなとも考え中。えいえいおー。

音の記憶

ここに綴ってから、もう10か月も経過して、2013年も残り2か月になっていた。


この10か月、私の人生の中で、とっても大きな出来事が起きていた。
4月からのNYでの暮らしと6月の娘の出産。これまでの暮らしのつながりの中に今はあるけれど、大きな変化だなぁ、やっぱり。12月になんとか体調が回復してきたと思ったら、2月より夫が渡米、そこから約2か月、お腹で成長するbabyと一緒とは言えども、一人暮らし、引越し、31週に一人で渡米と落ち着かない日々だった。たくさんの人たちの支えの中で、どうにかこうにか暮らしを営むことができている。


妊娠してから、なぜか歌詞が伴う音楽を聴く機会がぐっと減った。頭や心や身体がそれらを求めていなかったのか、私の中で宿る命との対話の中では重たかったのか、良くわからないのだけれど。


ここ数日、後輩の歌声をきっかけに、歌詞を伴う音楽をまた受け入れられるようになってきたことに気が付いた。娘が4か月になり、少しずつ、自分と娘のとの間に距離をとることができるようになってきたからなのかしら。中島みゆきさんの「糸」をいろいろなミュージシャンがカバーしていて、そのいろいろなバージョンを聞いてみている。なんだか、センチメンタル?の様な気持ちになって、文字を久しぶりに綴りたくなった。


来年、自分がどういう状況になっているのか、今の時点では分からない。分からないなりに考えても、やっぱり決まっていないものは分からない。でも、やっぱり考える、という、堂々巡り。とりあえず、今は、娘を最優先にしつつ、できることは何かを考えて、小さなかけらから1つずつやってみるしかないのだろうなぁ。


あと、NYに来て、テレビもぱったりと見なくなった。メールやFBで友だちの状況や仕事の状況はある程度キャッチアップしているつもりだけど、それ以外、日本のものに触れることもほとんどなくて、そんな中、こちらで出来た友だちがWEBで日本のドラマを見ていて、それを紹介してくれた。出産以来、初めて日本のドラマを見たのだけれど、その後に、寝ている娘の姿をみて、とっても不思議な不思議な気分になった。日本でドラマを見ていた時の自分には、娘はまだいなくて、娘のいる新しい生活に、日本にいた時の自分の生活感覚の一部が急に入ってきたというか、うまく説明できないのだけれど。


久しぶりなのに、いつものように、とりとめのない内容になってしまった。


新しい命への感謝とこうやって生きていられることへ感謝の気持ちをもっと伝えていける自分でありたい。ありがとう。