音の記憶

ここに綴ってから、もう10か月も経過して、2013年も残り2か月になっていた。


この10か月、私の人生の中で、とっても大きな出来事が起きていた。
4月からのNYでの暮らしと6月の娘の出産。これまでの暮らしのつながりの中に今はあるけれど、大きな変化だなぁ、やっぱり。12月になんとか体調が回復してきたと思ったら、2月より夫が渡米、そこから約2か月、お腹で成長するbabyと一緒とは言えども、一人暮らし、引越し、31週に一人で渡米と落ち着かない日々だった。たくさんの人たちの支えの中で、どうにかこうにか暮らしを営むことができている。


妊娠してから、なぜか歌詞が伴う音楽を聴く機会がぐっと減った。頭や心や身体がそれらを求めていなかったのか、私の中で宿る命との対話の中では重たかったのか、良くわからないのだけれど。


ここ数日、後輩の歌声をきっかけに、歌詞を伴う音楽をまた受け入れられるようになってきたことに気が付いた。娘が4か月になり、少しずつ、自分と娘のとの間に距離をとることができるようになってきたからなのかしら。中島みゆきさんの「糸」をいろいろなミュージシャンがカバーしていて、そのいろいろなバージョンを聞いてみている。なんだか、センチメンタル?の様な気持ちになって、文字を久しぶりに綴りたくなった。


来年、自分がどういう状況になっているのか、今の時点では分からない。分からないなりに考えても、やっぱり決まっていないものは分からない。でも、やっぱり考える、という、堂々巡り。とりあえず、今は、娘を最優先にしつつ、できることは何かを考えて、小さなかけらから1つずつやってみるしかないのだろうなぁ。


あと、NYに来て、テレビもぱったりと見なくなった。メールやFBで友だちの状況や仕事の状況はある程度キャッチアップしているつもりだけど、それ以外、日本のものに触れることもほとんどなくて、そんな中、こちらで出来た友だちがWEBで日本のドラマを見ていて、それを紹介してくれた。出産以来、初めて日本のドラマを見たのだけれど、その後に、寝ている娘の姿をみて、とっても不思議な不思議な気分になった。日本でドラマを見ていた時の自分には、娘はまだいなくて、娘のいる新しい生活に、日本にいた時の自分の生活感覚の一部が急に入ってきたというか、うまく説明できないのだけれど。


久しぶりなのに、いつものように、とりとめのない内容になってしまった。


新しい命への感謝とこうやって生きていられることへ感謝の気持ちをもっと伝えていける自分でありたい。ありがとう。