母の日と誕生日

今、NYは夜中の1時を過ぎ、またしても静かな夜。夫は久しぶりの飲み会から0時頃帰ってきて、ひとしきり今日のおもしろかった会話をほろ酔いな感じで話し、リビングで寝そうになっていたので、半強制的にベットルームへ移動。


前回綴ったのが、年末なので、既に5か月が経過してしまった。いつものことと言えば、いつものことだけど。。
この5か月は、娘の病気と向き合う日々だった。備忘録的に。


1月、娘の高熱が下がらず、小児科通院3回目にして、私の方から症状からし川崎病の疑いを小児科医に伝えたところ、そのまま、コーネル大学のエマージェンシーへ直行するように言われ、そのまま入院。通院が夕方だったけど、さすがにそのまま入院になるとは思っていなかったので、何の準備のないまま入院に突入した感じ。川崎病の診断が正式にくだり、翌朝から治療がスタート。経過は順調だったものの、2月は細気管支炎、3月は突発性発疹にかかる。毎月、熱からスタートし、それが何によるものなのか分かるまで時間がかかるという状況で、2月も入院にはならなかったけどエマージェンシーに行くことになってしまい(結局、小児科医を変え、たどりついた小児科医は相性が良い気がしている)、なかなか落ち着かない状況だった。デイケアも4月いっぱいまでお休みした。さすがに3月頃になると、私の疲労が蓄積して、私もダウン。夫とシッターさんに助けられてなんとかなったし、のど元過ぎればという感じだけど、振り返ると、ちょっとぐっとくる。


その間、当初から予定していた、オンライン授業の担当、Hunter Collegeの授業(こちらはNon-Degreeの学生として)の履修が始まり、年末に準備していた論文の投稿、もう1つの投稿論文の修正、報告書の原稿の提出、投稿していた論文の再査読が2回(最初の再査読がきつかった)など、当初予定されていなかったことも含めて期限が設定されているものが多く、その場のできる範囲で対応するので精一杯(今もまだそんな感じ)だった。


そして、今年は数年に1度やってくる、母の日と誕生日が一緒の年。このことについて書こうと思ったら、前段が長くなりすぎて、息切れ…。また、改めてかけたらいいな。なんだか、5月中に決着をつけなくてはいけないものを抱えていて、少し落ち着かない感じだけど、5月も前向きに過ごしたい。