折り合いをつける

認知症の人が、グループホームや宅老所などで暮らしていく時、本人がその環境を好んでいる訳でもなく、納得している訳でも、受け入れている訳でもなく、「折り合いをつけている」のだ、と、いう言葉を思い出す。


本当は、住み慣れた自分の家での暮らしを諦めたい訳ではないけど、今の自分の置かれている状況で、いろいろなものごとと何かしら暮らしていくためには、そうせざるを得ないのだ、と。ケアにあたる人間は、そうやって「折り合いをつけている」ことを忘れてはいけないだ、と。


透けて見える、その先に、私は、「折り合いをつけていく」ことができるんだろうか。こうやって、「折り合いをつけていこう」としていることを、どれほど理解しているのだろうか。